「この絵、どこか懐かしいな」
そう思って目を止めた作品に、大谷太郎の名前が書いてある。
理由はうまく説明できないけれど、気になる。
もう一枚、もう一枚と見ていくうちに、自分の中にあった思い出や感覚が、ひとつずつ引き出されていく。
そうやって、気がつけば彼の世界に引き込まれている。これが、大谷太郎の絵である。
今、世の中には「〇〇っぽい」作品が溢れている。アニメ風、インスタ映え系、あるいはAI風。
見た瞬間に「どこかで見たことある」と感じるような作品が、どんどん生まれては、すぐに流れていく。
情報や流行のスピードがどんどん加速する中で、「描くこと」を地道に続けることは、とても地味で、効率の悪いことのようにも見える。
だが、それを何十年も続けてきた画家がいる。
それが、大谷太郎である。
20歳でドイツに渡り、カールスルーエの国立アカデミーで絵を学んだ大谷は、「何を描くか」ではなく「どう描くか」が大切だという考えを叩き込まれた。
絵の意味や背景よりも、まず目の前の絵の具とキャンバスに向き合うこと。線の強さ、色の響き合い、形のリズム。彼はそれを何千回、何万回とくり返してきた。
そんな彼の制作姿勢は、いまなお変わらない。展示の予定がなくても筆を持ち、気分が乗らなくても色を塗る。
間違っても、変でも、とにかく描く。うまくいかなくても、絵の中で自分と対話する。それが彼にとっての「LIFE(人生)」なのである。
今回の個展「LIFE」では、その日々の積み重ねが静かに、しかし力強く並んでいる。日常の風景や犬との散歩で見た空の色、春の気配、秋の静けさ。
どれも特別な出来事ではない。だが、それを大谷は「自分の色と形」で描く。それだけで、見た人の心に何かが触れる。
彼の絵には、ストーリーのような派手な語りはない。
だけど、そこには確かに「描いた時間」がある。考えるよりも先に手を動かし、塗り重ねられた色がある。
偶然を受け入れながら、完成というゴールを急がずに、今できる最善を一筆ずつ積み重ねていく。
その姿勢は、実はこの変化の激しい時代に最も必要な感覚かもしれない。
大谷はよく「絵は見て楽しむもの」と語る。何か深い意味を探さなくてもいい。
きれいだな、楽しいな、なんだか気になるな。それでいい。
むしろ、その「なんだか気になる」という感覚こそが、絵と人との一番自然な出会い方なのだ。
ドイツで絵を学びながら、彼は「日本人である自分」と向き合った。
自己表現を求められる中で、記号のように絵の中に山や木や道を描く独自の「絵の言葉」をつくり上げていった。
それは自分自身を少しずつ理解していく過程でもあった。
三角形は山、三本線は木。そうして彼は、絵の中に自分だけの地図を描き始めたのだ。
今、彼の作品には、その地図が息づいている。見たことがあるようで、見たことのない風景。
具体的なモチーフがありながら、抽象的な余白もある。誰かの思い出とも、自分の未来ともつながるような、不思議な絵である。
特に今回の個展では、作品がひとつのシリーズとして展開されている。「本当に一人で描いたの?」と驚かれるほど、完成度が高い。
だがそれは、彼が一枚一枚と丁寧に向き合い、変わらぬ姿勢で描き続けてきた証である。
色と形が呼び合い、画面の中で踊っている。
遠くから見ると全体のリズムが美しく、近くで見ると塗りの一筆一筆に息づかいが感じられる。
部屋に飾ったとき、その絵は日々の景色に溶け込み、あるときふっとこちらを見つめ返すだろう。
絵を買うことに意味があるのではない。
その絵と暮らすことが、自分の中の何かを少しだけ変えてくれる。
だからこそ、いま大谷太郎なのだ。
派手なコンセプトも、時流に乗った話題性もない。だがそこにあるのは、揺るぎない「描き続けてきた時間」と「見る人と素直に向き合う力」である。
この展示「LIFE」には、そんな大谷太郎のすべてが詰まっている。
ぜひ一度、作品の前に立ってほしい。言葉よりも先に、感じるものがある。それこそが、アートの原点である。
2025年5月7日(水) ~ 5月24日(土)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日の5月7日(水)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:5月7日(水)18:00-20:00
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F
http://tagboat.co.jp/taro_otani_life/